旧東海道沿いに沿って今も残る松並木、
間の宿原川にたたずむ風流な食事処 |
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豊な自然と歴史が息づく街で、
まごころ尽くしのおもてなし。 どうぞ、みなさまでごゆるりと 心ゆくまでお愉しみ下さいませ。 当店前より西に続く松並木→ |
■椎の木茶屋の由来 | ||
掛川宿と袋井宿の境。原野谷川東岸の原川は、室町から江戸にかけて市場や間の宿の役割を担っていました。 この地にある「椎の木茶屋」は、かつて掛川藩主太田備中守の御休息所として建てられ、後に下附されたという由緒ある茶屋で、屋号も、原野谷川をわたる同心橋のたもとに立っていた、大きな椎の木にちなんで命名されたものと伝えられます。 明治元年、明治天皇も東京行幸の際、この地で椎の木屋伊藤又左衛門方に御小休されたことが記録に残っています。 |
椎の木茶屋の周辺には、随所のいにしえの名残が。
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■ | 善光寺・仲道寺の由来 | ||
この地はかつて佐野郡小松郷岡津村(現掛川市岡津)と称し、松茸がたくさん採れたといわれています。 平安時代初期の延暦7年(788年)、比叡山建立の願をかけた伝教大師は、三体の阿弥陀仏を彫り上げました。そして延暦9年、東伐の勅命を受けた坂上田村麿と百済王は、そのうちの一体の仏像を授かり、奥州をめざして東に下りました。 東伐の軍がこの村にさしかかった頃、兵が次々に難病にかかって行軍不能となりましたが、大師に授かった阿弥陀仏に願をかけたところ、不思議なことに、悪病を払うことができたというのです。その折、ここに善光寺を建立したとされ、疫除の話を聞いた人々は以後、諸国に難病が流行るたび、こぞって善光寺に参拝したということです。 それからおよそ800年を経た天正年間(1573年〜1591年)、高天神城落城より、武田勝頼の兵がこの寺にこもって数々の狼藉を働き、寺伝のご朱印や書物などを失うこととなり、昔日の詳細は残念ながら、今日知ることができません。 |
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後の享保18年(1733年)、境内に本堂が建立されましたが、享和2年(1802年)8月、火災によって諸堂が焼失します。しかし翌年2月には復興され、伽藍が落成しました。この普請の際に、江戸と京都から人足たちが測歩したところ、この寺の辺りで、ちょうど両者が出会ったとされ、以後「東海道の真ん中」、すなわち「仲道寺」とも称されるようになったと伝えられています。 |
連絡先 | |||
【店名】 | 割烹 椎の木茶屋 | ||
【住所】 | 〒436-0038 静岡県掛川市領家1495 旧東海道松並木沿い | ||
【TEL】 | 0537-22-3608 | 【FAX】 | 0537-22-8406 |
【E-mail】 | siinoki@cello.ocn.ne.jp |
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